毎年10月にフランスで開催される凱旋門賞ですが、2020年まで日本から挑戦した馬は一度も勝てないでいます。
日本馬は香港、ドバイ、ヨーロッパ、アメリカそれぞれの場所でG1レースを制していますが、凱旋門賞だけはなぜか縁がありません。
勝てない理由は馬場や環境、日本で競馬する時よりも重い斤量などさまざまあるかと思います。
今回は今まで日本馬が果敢に挑戦してきた歴史をご紹介していきます。
日本馬初の凱旋門賞挑戦は1969年スピードシンボリ
日本馬初挑戦のスピードシンボリは今から50年以上前に凱旋門賞に挑戦しています。
正確な着順は計測されていませんが公式には10着以下と発表されています。
当時スピードシンボリは日本では天皇賞・春を制し、当時では珍しいぐらい海外挑戦を繰り返していた馬でした。
ここから日本馬の長い長い凱旋門賞の挑戦の歴史がスタートします。
凱旋門賞挑戦も惜しくも勝てなかった日本馬エルコンドルパサー
当時エルコンドルパサーはNHKマイルカップ、ジャパンカップなどを制した後、国内に留まらず凱旋門賞を大きな目標としフランスに長期遠征しました。
現地でもサンクルー大賞というG1レースを制したエルコンドルパサー。
そんなエルコンドルパサーが挑戦した凱旋門賞のレースがこちら。
本当に惜しい!としか言いようがなくあともう少しのところで勝利が見えていましたね‥
日本最強の3冠馬ディープインパクトでも凱旋門賞の壁は厚かった
無敗の3冠馬ディープインパクト。父としても大変優秀な馬ですが、ディープが挑戦した時はさすがに勝てるだろうと思っていた競馬ファンの方も多かったのではないでしょうか。
私もその1人でした。
岡部さんの「まだまだ!」の声も印象的なレースでしたね。
残念ながら3着に入線後、禁止薬物を使用していたことが発覚し失格という結果となってしまいました。
国内ではあんなに強いディープインパクトが伸び切れていないのを見ると、日本馬が勝てない要因の一つに環境の変化というのは大きいと感じます。
チームエルコンドルで再び凱旋門賞に挑戦!
1999年惜しくも2着の結果となったエルコンドルパサー。
エルコンドルパサーを管理していた二宮調教師と、その鞍上だった蛯名正義騎手は2010年ナカヤマフェスタで再び凱旋門賞に挑戦することになります。
当時、ヴィクトワールピサも同じく出走し、ナカヤマフェスタよりもヴィクトワールピサの方が注目を集めていましたがその結果は…
非常に惜しい2着でしたね。(ヴィクトワールピサは7着)
凱旋門賞挑戦にノウハウのある調教師、騎手だと好結果が出るのでしょうか。
暴れん坊の3冠馬オルフェーブルの2年連続凱旋門賞挑戦
オルフェーブルは不良馬場の日本ダービーを圧勝するなど、ロンシャン競馬場の力のいる馬場は合うのではないかと言われていました。
また、オルフェーブルが2年連続挑戦した2012年、2013年は例年に比べ手薄なメンバーだったため現地でも日本でもオルフェーブルは高い評価を受けていましたよね。
2012年の凱旋門賞がこちら
2013年の凱旋門賞はこちら
特に2012年はガッツポーズしかけたところでえっ、、、という結果になってしまいました。
当時鞍上はスミヨン騎手でしたが、日本でいつもコンビを組んできた池添騎手が乗っていたらまた結果が違っていたかも…と思う方もいらっしゃるのではないでしょうか。
オルフェーブルの結果を見ると日本馬勝利も目の前ではないかと感じさせてくれます。
毎年のように果敢に凱旋門賞に挑戦する日本馬 勝てない理由は?
いかがでしたでしょうか。
惜しいレースを中心にご紹介していきましたが、毎年のように日本の強い馬が挑戦して勝てないでいます。
勝てない理由は長距離輸送、馬場、環境、斤量さまざまかと思います。
オルフェーブルの結果を見ると運も大きな要素なのかと感じます。
2021年はクロノジェネシス、ディープボンドというロンシャンの馬場が合いそうな2頭が挑戦しましたが、世界の壁は厚かったですね…。
ぜひ日本馬初の凱旋門賞制覇を生きている間に見たいものです。
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